大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成2年(ワ)15419号 判決

原告

甲山A子

乙川B美

右両名訴訟代理人弁護士

福原弘

白井徹

被告

丙谷C代

甲山D夫

右両名訴訟代理人弁護士

正野建樹

主文

一  被告両名は原告甲山A子に対し、それぞれ別紙物件目録≪省略≫(一)記載の土地建物について平成元年一一月一五日遺留分減殺を原因とする各持分八分の一の各所有権移転登記手続をせよ。

二  被告両名は原告乙川B美に対し、それぞれ別紙物件目録(一)記載の土地建物について平成元年一一月遺留分減殺を原因とする各持分二四分の一の各所有権移転登記手続をせよ。

三  被告両名は、各自別紙物件目録(二)記載の土地について、原告甲山A子に対し、同原告が四分の一の割合による別紙賃借権目録≪省略≫記載の賃借権を、原告乙川B美に対し、同原告が一二分の一の割合による別紙賃借権目録記載の賃借権を、それぞれ有することを確認する。

四  被告両名は、原告甲山A子に対し、それぞれ金一四〇万八七八六円及びこれに対する平成元年一一月一六日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  被告両名は、原告乙川B美に対し、それぞれ金四六万九五九五円及びこれに対する平成元年一一月一六日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

六  訴訟費用は被告両名の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文と同旨

第二事案の概要

一  本件は、被相続人の妻と子が遺言により全財産を各自二分の一の割合で取得した他の子らに対し、遺留分減殺請求をしたのに対し、被相続人とその妻との夫婦関係は形骸化しており、本件請求は権利の濫用であるとして、また、原告となった子は財産の生前贈与を受けているとして、いずれの請求も理由がないとして争った事案である。

二  争いのない事実

1  甲山E雄(以下「E雄」という。)は、死亡当時、別紙物件目録(一)記載の土地建物(以下「本件土地建物」という。)を所有し別紙物件目録(二)記載の土地について別紙賃借権目録記載の賃借権(以下「本件賃借権」という。)及び別紙債権目録≪省略≫記載の債権(以下「本件債権」という。)を有していた。

2  E雄は、平成元年四月一八日、死亡したが、同人の妻である原告甲山A子(以下「原告A子」という。)並びにその子らである原告乙川B美(以下「原告B美」という。)及び被告両名がその法定相続人である。

3  E雄名義の昭和六二年九月二五日付公正証書遺言(東京法務局所属公証人丁沢F郎作成、昭和六二年第八〇八号。以下「本件遺言」という。)が存在し、これによれば、E雄の全財産を被告両名に各二分の一の割合で相続させるものとされ、被告両名は、平成元年六月一六日、本件遺言に基づいて、本件土地建物についてそれぞれ平成元年四月一八日相続を原因とする各持分二分の一の所有権移転登記をした。

4  原告らは被告らに対し、平成元年一一月一五日、本件遺言に対して遺留分減殺の調停を申し立て(東京家庭裁判所平成元年(家イ)第六六〇号)、右調停において、本件土地建物について所有権移転登記手続を、本件賃借権について原告らの準共有持分の確認を、本件債権について遺留分割合に当たる金額の支払いを求め、減殺請求権を行使したが、被告らはこれに応じない。

5  原告B美は、別紙物件目録(三)記載の土地(以下「東尾久土地」という。)及び同土地上に築造された同目録記載の建物(以下「東尾久建物」という。)を所有している。

6  原告A子は、昭和七年三月一日E雄と婚姻したが、昭和一九年八月ころからは、E雄は戊野G江と同居するようになった。

三  被告らの主張

1  原告A子とE雄とは、昭和一九年事実上離婚し、その後四四年間は別居状態にあったもので、その夫婦関係は形骸化し、戸籍上の夫婦に過ぎない状態となっているのであるから、遺留分減殺請求権の行使は権利の濫用として許されない。

2  原告B美は、生前、東尾久土地及び東尾久建物をE雄から贈与されており、また、E雄から左記のとおり合計金一〇〇〇万円の贈与を受けているのであるから、これらを考慮すると、同原告には遺留分は存しない。

(一) 金二〇〇万円(昭和四七年三月当時原告B美の自家用自動車の購入代金として)

(二) 金二〇〇万円(昭和四八年当時乙川家の墓地購入代金として)

(三) 金四〇〇万円(原告B美の子女の教育費として)

(四) 金一〇〇万円(原告B美の長女H子の婚礼費用として)

(五) 金一〇〇万円(原告B美の生活費として)

四  本件の争点

1  原告A子の請求は権利の濫用か。

2  原告B美に対する贈与財産の存在と遺留分算定の基礎

第三当裁判所の判断

一  原告A子について

被告らは、原告A子が被相続人であるE雄の死亡当時の配偶者であることを認めながら、配偶者としての遺留分請求は権利の濫用であると主張しているところ、本件各証拠によれば次の事実が認められる。

1  E雄(明治三八年○月○日生)は原告A子(明治三六年○月○日生)と昭和七年三月一日婚姻し、その間に長男I郎(昭和七年○月○日生、昭和一一年四月二四日死亡)、長女原告B美(昭和九年○月○日生)、二女被告C代(昭和一一年○月○日生)、二男被告D夫(昭和一八年○月○日生)の四子が生まれたが、全員荒川区内において、また原告B美を除き、残る三人は荒川区〈以下省略〉においてそれぞれ出生している(≪証拠省略≫)。

2  昭和一九年ごろ、E雄は鉄工場を経営していたが、疎開のため浦和市に家族を居住させようとしたが、原告A子はこれに反対し(≪証拠省略≫、原告B美本人尋問四〇頁)、E雄を都内に残して、原告ら及び被告ら四名は、母の実家のある新潟県高田市(現上越市)に疎開した。

3  他方、E雄は、原告ら及び被告らが疎開中、町屋駅前で小料理店を経営していた戊野G江(以下「G江」という。)と愛人関係となり、昭和六二年ころまで引き続き同居し、再び原告A子と同居することはなかった(≪証拠省略≫)。

4  原告ら及び被告らは、終戦後も引き続き疎開先に留まり、昭和二七年四月ころ、東京に戻り、E雄がG江のために購入した東尾久土地上にある東尾久建物(以下東尾久「東尾久旧建物」という。)に居住し、E雄は原告ら及び被告らのために、疎開中から昭和六二年ころまで、生活費を支出し、行き来もしていた(≪証拠省略≫、原告B美本人尋問六、一〇頁)。

ところで、遺留分が認められる趣旨は、一定の法定相続人に対して、被相続人の意思にかかわらず、一定割合の相続分を確保するという点に存し、被相続人が当該相続人に遺産を相続させない旨の遺言をしても奪うことのできない権利であり、多くの場合、被相続人との関係が悪化し又は形骸化し、被相続人が当該推定相続人に相続をさせたくないという際に遺留分減殺請求権が問題となること、被相続人が遺留分を失わせるためには、生前又は遺言により遺留分を有する推定相続人の廃除を請求し、家庭裁判所の審判を経ることが必要であること、廃除の要件としては、被相続人に対して虐待をし、若しくはこれに重大な侮辱を加え、又は、推定相続人にその他の著しい非行があったことが必要であり、これらの要件を満たさなければ廃除請求は認められないことなどを併せ考えると、遺留分減殺請求権の行使が権利の濫用となるためには、ただ単に身分関係が形骸化し、その実体を失っているというのみでなく、積極的に廃除請求をしていれば認められたであろうと考えられる事情あるいはそれに相当する重大な事由が存在し、その行使が信義に反すると認められることが必要であると解すべきである。けだしそのように解さなければ、一方で遺留分制度により一定の推定相続人を保護し、他方において廃除制度により被相続人の処分の自由を確保し、両者の利害を調整している現行法の趣旨に反することになるからである。

これを本件についてみると、被相続人であるE雄と原告A子とは、昭和一九年以降再び同居することなく経過していたことは認められるものの、別居の契機となったものは戦時下での疎開であり、その後再び同居するに至らなかった主たる理由は、E雄が愛人関係にあるG江と同居していたことにあると考えられ、また、別居期間中もE雄は原告A子らの生活費を支弁しており、二人の関係が完全に形骸化していたとは認められないのみならず、廃除事由に該当するような事情は窺えないのであり、そうだとすると、本件において原告A子が遺留分減殺請求をすることが信義に反し、権利の濫用になるということはできない。

二  原告B美について

被告の主張の趣旨は、要するに原告B美には特別受益となるE雄からの贈与があり、その価額が原告B美の遺留分の価額を超えているから具体的相続分は存在せず、したがって遺留分を理由として減殺請求できないということと解されるところ、本件各証拠によれば次の事実が認められる。

1  東尾久土地は、昭和二七年二月二九日、同日の売買を原因としてG江に対し所有権移転登記手続がされている。他方そのころ、同土地にはG江を債務者とする担保権の設定登記はされていない。なお、その当時は登記簿上三〇二・〇四平方メートルの地積を有していた。その後、昭和四八年二月一九日、他二筆に分筆され、東尾久土地は一三三・五七平方メートルとなった。また、昭和三五年から四一年にかけて根抵当権等が設定されていたが、主債務者はE雄が経営していたa鉄工所又はE雄個人となっている(≪証拠省略≫)。また、東尾久土地の取得費用はE雄がG江のために支出しており(原告B美本人尋問二三ないし二五頁)、右分筆の際、これを買い受けた己原J介は、E雄に代金を支払い、G江名義の領収書が交付された旨を述べている(被告丙谷C代本人尋問第八回弁論一三頁)。

2  東尾久土地には、昭和二七年当時東尾久旧建物が築造されており、原告ら及び被告らが居住していたが、昭和四六年一一月ころ、これが取り壊されて、東尾久建物が新築され、昭和四六年一一月二九日、原告B美名義の所有権保存登記がされた。また、同年一二月一六日、王子信用金庫の原告B美を債務者とする極度額三五〇万円の根抵当権の設定登記及び代物弁済予約を原因とする所有権移転請求権仮登記が経由されている(≪証拠省略≫)。

3  東尾久土地について、原告B美は、昭和六〇年五月二二日、同月二一日売買を原因としてG江から所有権移転登記を受け、同日、瀧野川信用金庫が原告B美を債務者として金四〇〇万円の抵当権を東尾久土地及び同建物に設定している(≪証拠省略≫)。

4  本件遺言には、原告B美には東尾久土地及び同建物を与えてあるほか結婚費用はもとよりその娘の教育費等相当額の金員を支給しているなどとして同原告に遺産を相続させる気持ちはない旨の記載がある(≪証拠省略≫)。

以上によれば、東尾久土地はE雄がG江のために購入したが、G江が居住しなかったので、原告ら及び被告らが居住するようになったことが認められるのであるが、E雄が東尾久の土地を取得した目的からするとこれをG江に贈与し、同人に取得させてその生活を保障する意図であったと推測され、途中、資金繰りに窮したことから、自己の経営する鉄工所の債務の担保に供したり、その一部を売却して返済に充てたりしてはいるものの、分筆後の東尾久の土地について、これをG江に帰属させず、返還を求める意思であったとは考えられない。この点は遺言書によればE雄がG江名義の東尾久土地を原告B美名義にしたようにも見えるが、この時期にE雄の意思でG江からこの土地を取り上げ、他には何も与えず、敢えて原告B美にこれを贈与することは考えにくく、また、同日付で原告B美が自ら借入れをしていることと符号しないことなど諸般の事情を総合考慮すると、少なくとも分筆後の東尾久土地についてはG江に贈与する意思で所有権移転登記をしたものと認められ、G江から原告B美への移転にはE雄は関与していなかったと解するのが相当である。そして原告B美は今後G江の面倒を見るとして東尾久土地を底地代金四〇〇万円でG江から取得したものと認められるのであり、そうだとすれば、これをもってE雄からの贈与ということはできないというべきである。なお、被告が述べるようにG江が四〇〇万円を受領しておらず、原告B美が勝手にG江名義の東尾久土地を自己名義に移転したものとすれば、原告B美は東尾久土地を取得していないことになり、これが特別受益にならないことは言うまでもない。

次に東尾久建物について見ると、確かに本件遺言によればこれを原告B美に贈与した旨の記載があり、E雄が生前そのように述べていたことを推測させる証拠もあるのであるが(被告丙谷C代本人尋問第八回弁論一八ないし二〇頁)、他方、前記認定のとおり、原告B美の所有権保存登記後ではあるが、同原告名義で根抵当権が設定されていることなどから考えると、原告B美が支出したとする同原告の供述も不合理とは言えず、反対にE雄が全額負担し、これを原告B美に贈与したと認めるに足りる証拠はなく、したがって、これも原告B美の特別受益に該当するとは認められない。

なお、その外の被告らの主張する金員については、原告B美は受領していないと述べ、被告丙谷C代は受領していると聞いていると述べているものの、確実な書証あるいは物証はなく、仮に原告B美の婚姻費用の支出など贈与を受けたものがあるとしても、他の子である被告らの受益の程度と比較して特別受益と言えるのかは判然とせず、結局、いずれの費目についても特別受益として積極的にこれを認めるには未だ足りないと言わねばならない。

第三結論

以上によれば、原告らは、いずれもそれぞれの法定相続分の二分の一の割合で、遺贈を受けた場合に準じて(本件遺言はいわゆる「相続させる」旨の遺言であり、遺贈とは異なり、物権的に所有権を帰属させる遺産分割方法であると解されている。しかし遺留分減殺請求との関係においては、遺贈と区別すべき合理的理由は見出せないので、遺贈に準じて遺留分減殺請求ができると解すべきである)、被告らに対し、E雄の遺産について平成元年一一月一五日行使した遺留分減殺請求は理由がある。

したがって原告A子は、法定相続分である二分の一の二分の一である四分の一の限度で、原告B美は、法定相続分である六分の一の二分の一である一二分の一の限度で、それぞれ被告らの取得した持分割合である各二分の一の割合に応じて、遺留分減殺請求をすることができると認めることができ、本件土地建物については、原告A子は被告両名に対しそれぞれ四分の一の二分の一である八分の一の持分について各所有権移転登記手続を、原告B美は被告両名に対しそれぞれ一二分の一の二分の一である二四分の一の持分について各所有権移転登記手続を、また本件賃借権については、原告A子は四分の一の割合で、原告B美は一二分の一の割合で、それぞれ被告両名に対してその持分を有することの確認を、求めることができるというべきである。また本件債権については、本来それぞれの債権が原告らに各遺留分の割合に応じて帰属することの確認を求めることができるにすぎず、被告らが民法一〇四一条一項により価額弁償を求めた場合、当該価額の支払いを受けることにより遺留分減殺による債権の帰属を主張できなくなるものであるが、本件債権はいずれも債務者の資力が確実で債権の額面額と実質的に同価値を有すると認められ、被告らにおいても特に債権の現物分割を求めているわけではなく、原告も価額弁償で足りると考えて金額の支払いを求めていること、債権の分割的帰属とすると相続開始後に発生する支分権である利息債権も原告らに元本債権の取得割合に応じて帰属するから債務者の資力が確実である限り価額弁償の方が被告らに有利であることを併せ考えると、原告らにおいて被告らが価額弁償を主張することを配慮し、当初から価額弁償の請求をし、被告らもこれを有利に援用して敢えて現物分割の主張をしなかったものと推認され、そうだとすると、相続開始時にE雄が本件債権を有していたことは当事者間に争いはないのであるから、その元利合計額である金一一二七万二八八円のうち、被告らに対し、原告A子においてはそれぞれその四分の一の二分の一である金一四〇万八七八六円の支払い、原告B美においてはそれぞれその一二分の一の二分の一である金四六万九五九五円(端数切捨て)の支払い及び原告らにおいてそれぞれの金額に対する減殺請求権を行使した日の翌日である平成元年一一月一六日から各支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めることができると解すべきである。なお、金銭債権に関する支払いについては、その性質上、他の遺留分減殺請求と一体をなすものであるから仮執行宣言を付するのは相当でないものと認められるので、これを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 大塚正之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例